教会と精神医学:その複雑さについて

写真 : Alexina Yoder

教会は心の健康をどう考えるべきか?

私たちの精神状態は身体や霊(スピリット)とつながっており、調子を崩すこともあります。今号の「視点」では、世界のアナバプテスト系教会の指導者や健康問題に取り組む人々に、教会が人々の心の健康のために果たす役割について、考えを述べてもらいました。

教会と精神医学:その複雑さについて

精神医学の仕事をしていてもっとも驚かされることの一つは、信仰をもちながらも入院して私たちの治療を受ける人の数が少なくないことです。より正確には、キリスト教徒の数が、ということです。

「それはね、患者さんが他の話題よりも信仰や希望について話すことが多いから、そう見えるのさ。」でも、もう少し客観的なところ、たとえば病室に聖書が置かれているかどうかをみてみると、この印象はより確かに思えます。精神病棟はキリスト教徒であふれかえっています。メノナイトのキリスト教徒だって、入院することがあります。

制御不能への不安

キリスト教徒でも精神病に苦しむことがある、と認めるのは容易ではありません。アルツハイマー病になるとか、病気の後遺症で精神が錯乱するとかいうのは、原因を説明されれば理解できます。しかし、精神病の場合は直接の原因を説明できるものではありません。免疫がないわけですから、私たちは恐ろしくなります。理由がわからないなら、自分にはおこりえないなんてどうして言えましょう。正気を失った私が何を言い出すか、どうしてわかるでしょう。どんなに非暴力的なアナバプテストだって、激しい迫害をうけているという思いに囚われたら、周囲を脅かすかもしれません。押しつぶされそうな思いで、私たちは答えを探します。

そんなわけで、「精神病の人たちは、たいてい/ときに/しばしば、何かに取りつかれているんじゃないか」と私たちは考えます。精神病が人間の原罪の結果であるという考えは受け入れがたいものです。その人はきっと何か悪いことをしたから、考えや言葉や行いを制御できなくなったにちがいない。そうして私たちは、病気の責任を、苦しんでいる本人に押しつけて、自分を納得させようとするのです。

フランス精神医学生協会が2013年に行った調査によると、信仰をもつ学生のうち精神科で研修する学生の数は、他の診療科よりも格段に少ないのです。しかし、精神科の患者は他の診療科の患者よりも、自分の信仰について話題にすることが多いのです。

患者は祈るのです。ミサに行くのです

そこで医師がいぶかります。これら弱い患者たちは、危険なカルトに引きずり込まれる危険はないのだろうか? 彼らを守ってやらなければならないのではないか、でもどうやって? 信仰と狂信の境い目はどこにあるのだろう?

病いの中の信仰

私が勤務する精神病院を訪れる人は、チャペルがあることにすぐ気づきます。部屋を改装してチャペルにしたのではなく、れっきとした会堂で礼拝を行っており、チャプレンもいます。最近、ある精神分析医から聞いたのですが、聖職者たちの方が、信仰の経験から精神科医とは異なる観点をもつため、狂信的な妄想を見極めるのに優れているのだそうです。

精神を病む人たちのため、教会には果たすべき役割はあるでしょうか。まあ、ないはずはないですよね。すでに教会は、統合失調症、双極性障害、慢性うつ病などをかかえる人たちの居場所となっています。あえて言えば、もし百人以上も人が集まる教会があって、心の健康で困っている人が一人もいなかったら、それは教会が教会員のことをよくわかっていないか、受け入れ態勢を疑問視すべきかのどちらかなのです。

わかっていようといなかろうと、教会はすでに関わっているのです。統合失調症の患者は人口の0.8%と推定され、フランスではおよそ60万人です。計算してみてください。あなたの教会にいてもおかしくない統合失調症の人は何人でしょう? そして実際には何人いますか? その数が少ないからといって、教会を責めようというのではありません。病気が進行すると、人付き合いから遠ざかったり、他人の提案に抵抗を示すことが多いのですから。

これは私たちの教会にとってかなりたいへんなことではないでしょうか。

さらに、不安という、種々の精神障害に共通して現れる特徴があります。教会は人々を現実にしっかりと足場を築かせ、安心を再確認させる枠組みを提供します。典礼にのっとりいつもどおり行われる礼拝や、助けを提供してくれる人たちに毎週会えること、決して見捨てない家族に参加することです。

世俗的な国の精神科医として、人々がより元気になり、他者と意思疎通ができ、世の中にあって地に足のついた、「ふつうの生活」を送れるよう助けることを、私は仕事にしています。

精神病に苦しむ人々に対して教会のなすべき働きは、安全で健全な人間関係の場であること、

人々が教会を自分の居場所と感じられ、教会員が人々を迎え入れ寄り添って歩ける準備が整っている場になることです。精神病者もまた神に創造され、愛され、キリストを信じる信仰を通して恵みを受け取ることのできる人たちだと捉えることです。恐れることなく他者に憐れみの気持ちを表すことは、想像以上のインパクトをもちます。精神障害のある人々をうまく教会に迎え入れていくことは可能であり、素晴らしいことです。彼らは、かつてキリストが地上にいたころ、キリストがいつもその輪の中にいたであろう当の人たちだと、私は確信しています。だから教会も、そうするべきなのです。

アレクシナ・ヨーダーはベルフォール=モンベリアール出身、フランスのストラスブール・メノナイト教会員で精神科の研

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